私の人生の教科書「ロッキー」

 6月16日、ジョン・G・アビルドセンがすい臓がんによってこの世を去った。「ロッキー」や「ベスト・キッド」、「セイブ・ザ・タイガー」など数々の名作を世に残して。彼の肉体は完全に消滅してしまったが、作品は50年、いや100年と語り継がれ、彼の魂は永遠に生き続けるだろう。

 

 数ある作品の中でもやはり「ロッキー」が最もよく知られている。1976年に公開された本作は、その年のアカデミー作品賞、監督賞、編集賞を取った。当時全くの無名だったシルベスタ・スタローンが自ら脚本を書き、主演を務めた本作は彼を一躍スターの座に押し上げた。

 

 産業が廃れた町、フィラデルフィアに暮らす落ちこぼれのボクサーロッキー・バルボア。彼には一流のボクサーとしての素質があった。しかし、努力を嫌い、格下や3流ボクサーとのファイトマネーとヤクザの下で取立人として仕事をして生計を立てていた。仕事を終え、家に帰ると彼を待っているのは、飼っているペットの亀だ。彼の帰りを待つ彼女はそこにいない。精神的にも肉体的にもどん底の暮らしをしていた彼のもとに一報が入る。それはヘビー級世界チャンピオンアポロ・クリードからのタイトルマッチの対戦申し込みだった。彼は悩んだ。相手は世界チャンピオン。ボコボコに殴り倒され、笑いものにされるのは火を見るよりも明らかだ。しかし、彼は戦うことを選んだ。勝てなくてもいい。リングの上に15ラウンド立っていられるだけでいい。この決意の背景には、今まで馬鹿にしてきたやつらを見返してやりたいという気持ちがあっただろう。しかし、それにも勝り、落ちこぼれの自分、廃れた自分を変えたいという気持ちのほうが強かったはずだ。私はこのロッキーの決断を涙なしでは見ることができない。それは自分を重ねてしまうからだ。私は今まで自分より社会的地位が高い人間、国家や政府、教師や親に立ち向かうことができず、いつも逃げて生きてきた。しかし、ロッキーのように、どんなに自分より力が勝っていようと、逃げることだけはしてはいけないのだ。なぜなら逃げることは相手にも自分にも負けを認めることだからだ。逃げずに戦いを挑んで相手に負けたらそれはしょうがない。それでも自分にだけは勝つことができるのだから。



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 評論家の荻昌弘先生はロッキーについてこう語っている。「人生するか、しないかという分かれ道でするというほうを選んだ勇気ある人の物語だ。」と。なぜ40年以上前もの映画が現代を生きる私たちの心を打つのか、真髄はここにあると思う。


荻昌弘・映画解説 「ロッキー」

 

ここに、私の人生の教科書となった「ロッキー」を監督したジョン・G・アビルドセンに深い哀悼の意を表す。